コラム:イノベーション創発への挑戦

イタリアをお手本にする

イタリアをお手本にする

日本生産性本部の報告によると、日本の時間当たり労働生産性は米国の6割ほどであり、韓国・イタリアに劣後している。主要先進国の中で最下位が続いている。これには為替変動や、市場価格が実際の商品・サービス品質に比べて割安であるという消費者余剰を考慮する必要があるが、それにしても、この嘆かわしい状況をどう克服すればよいのかという議論がにぎやかだ。

一国の経済規模を表す国内総生産(GDP)ではなく、1人当たりGDPが大事という意見をよく聞く。しかし、計測できるモノ・サービスの生産性はデジタルの出遅れ感があり向上しそうにない。「オールジャパンで何かをすべきか」「産業立国のための投資対象はどこだ」という問いかけを耳にするが、国という単位で繁栄を競うのも時代遅れの感もする。

国の経済規模が伸びない中で、イタリアを良い意味で模倣対象として研究してもよいのではないかと思い始めた。イタリアと日本の生活スタイル・文化を比較し、彼らをお手本にすれば我々の生き方がもっと豊かになれるのではないか。

もちろん日本とイタリアとの相違点は多いが、共通点も多い。製造業が強かったという成功体験の下で、デジタルを最上位に考えるというソフトウエア優先の価値観についていけてない。大きな基幹産業がなくなると言う中で、食べ物がうまい。あくせく働かなくても生活できて人生も楽しい。家族と友人の付き合いで満足という状況だ。

イタリア化を(1)若者の政治関心の低下(2)基幹産業(製造業)の衰退(3)新興産業(IT)の出遅れと定義してみると、日本はイタリア化している。

一つ目は、人生の成功と仕事の成功を必ずしも一致させなくてもよい。自分、家族、友達が楽しければよいと割り切る価値観が彼らの多くにある。個人生活と仕事の境目が曖昧になっている今のコロナ禍の下では、個人の価値観をどこにおくかは重要である。

二つ目は、個人として世界に通用する人材育成が重要だということだ。個々が強くなれば周囲が幸せになり、結果として周囲の繁栄につながる。そもそも彼らは国を信用していない。個人や小企業が世界でどう活躍するかにもっと焦点を当ててもよいのではないか。

最後の一点はその国の文化的価値をブランド化することだ。イタリア製品の多くは彼らの文化と生活スタイルに紐づいている。評価の高い職人芸による靴、車、服飾、食品に多くの有名ブランドがある。友人は「製品のテイスト(味わい)が大事だ」という。

一方で日本はどうか。分業された職能の均一化と標準化による生産性向上に傾いていないか。手を挙げて呼べば何回も注文を受ける居酒屋、数分遅れでおわびのアナウンスをする鉄道、履物を揃えてくれる旅館は欧米にない。「もったいない」という日本の美徳に根付いた低炭素・循環型社会などブランド化できる製品・サービスはないか。

デジタルは利用しつつ、日本社会の本来の価値を再発見したい。

ドコモのイノベーション創発を牽引してきた栄藤氏による2021年8月20日の日経産業新聞「Smart Times」を翻案したものです。

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