コラム:イノベーション創発への挑戦

行動変容を起こそう

行動変容を起こそう

(日経産業新聞の休刊で)筆者の本コラムへの寄稿もこれで最後となる。これまでの85の寄稿をまとめると、①進化するデジタル技術の社会デザインへの統合②新しい生活・仕事様式③組織のデジタル変革に関する事例紹介だった。連載開始時の寄稿ではデジタルの新技術の紹介、開発手法についての記事が多かったが、近年の寄稿では、それら技術を組織・社会へどう適用するかという記事に軸足が移っている。

「世の中を素晴らしくするデジタル技術はある。産業はソフトウエア化している。世界はソフトウエアでできている」と書いても社会・産業の変化は遅かった。変革には常に痛みをともなう。これから起きそうな変化に抵抗が生まれる。それをどう乗り越えるかを市民・組織文化への受容性で考えることが重要になってきていると感じたのが背景にある。

2024年の年始にコペンハーゲンを訪れる機会を得た。この街は先進的なスマートシティーとして知られている。市民は生まれて数時間で、マイナンバーに相当する登録番号を受け取り、市民サービスを効率的に利用できるようになる。医療の領域では、病院間での健康情報の共有が進み、患者中心のケアへと移行している。

低炭素社会を目指すコペンハーゲンでは市民の主な交通手段は自転車であり、厳しい冬の寒さもそれを変えることはない。1970年代以降、自動車使用を抑え、自転車道の整備を進めてきたのだ。(筆者の夢は、オリンピックを機に東京が自転車中心の街に変貌することだったが、それは実現しなかった。その愚痴は別として、)コペンハーゲンで確信したのは、市民の行動が変わらないスマートシティーは空虚だということである。

エネルギー効率の向上や車の交通量の削減といった数字よりも、移動手段として自転車を選ぶという行動様式の変化こそが、この都市の環境への価値観を象徴している。

「人工知能(AI)の進化がすごい、企業間競争に不可欠だ」と言われても、従業員の行動変容が伴わなければ技術導入の効果は疑問視される。手段が目的化してしまうことほど、むなしいことはない。資料作成の方法、商談の進め方、食事後の1時間のコーヒーブレイク、育児と副業の両立など、仕事のスタイルが変わることで、その効果を語りたい。

社会、産業、そして組織を変革したいと思うなら、市民、従業員、政治家、経営者といった当事者の協力が不可欠だ。もし、あなたが何らかの新技術導入プロジェクトのリーダーなら、重要なのは、どうやって建設的に当事者を巻き込んでいけるかということだ。

そのためには、技術に伴う当事者の行動変容に焦点を当て、その効果を示す必要がある。その達成には、相手の共感を引き出す熱意と感性、表現力が必要となる。心に響くストーリーテリングや感動を誘うコミュニケーション能力が求められるのだ。

社会デザインでは技術政策と公共政策に精通した両手利きの専門家の育成が重要である一方で、デジタル応用の現場では、技術力と当事者の心をつかむ共感力が求められる。技術が行動変容を起こす時、それがイノベーションとなる。

ドコモのイノベーション創発を牽引してきた栄藤氏による2024年3月1日の日経産業新聞「Smart Times」を翻案したものです。

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